山野治一・愛子の夫妻(渋谷区)

設置場所:渋谷区代々木1-53-1山野美容専門学校 2階学生エントランス
制作者:朝倉文夫
建立時期:1963年3月12日
寄贈:学校法人厚生大臣指定山野高等美容学校 同窓会
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

山野治一(向かって左側、1907 – 1991)、山野愛子(向かって右側、1909 – 1995)。
設置経緯(胸像の銘文より):
山野治一愛子御夫妻は美容師の養成を終生の事業として発足独立孜々営々三十年 昭和二十三年美容師の身分法が制定され最初の厚生大臣指定校となって十五年 公益法人としての学校法人に認可されて十年 加えて山野愛子先生の美容業歴四十年を迎え更にアメリカ・ロスアンゼルスにヤマノビユウチイ・カッレヂを開設し今日世界に稀なる一大美容学校の出現を視るに至る この偉大なる事業功績を讃え聊か師恩に報いるため同窓生相計り朝倉文夫先生に嘱して胸像を建立しこれを母校に贈るものなり
昭和三十八年三月十二日除幕 学校法人厚生大臣指定山野高等美容学校 同窓会
山野愛子(1909年1月20日 – 1995年7月31日)は、東京・向島出身の美容家。略歴は次の通り。
1923年:関東大震災の女性被災者のみすぼらしい姿をみて、美容の大切さを痛感する。
1925年:山野結髪所を開業。日本初のパーマ指導技術者でもあり、日本にパーマ技術を普及させた。
1934年:東京・中野に山野美容講習所(現在の山野美容専門学校)を開設。
1954年:日本美容師総連合会会長に就任。
1961年:ロサンゼルスにヤマノ・ビューティカレッジを開設、校長に就任。
1967年:藍綬褒章を受章。
1977年:8月3日を「ハサミの日」とすることを提唱。以後毎年8月3日に東京・増上寺で「ハサミ供養」が行われている。
1980年:勲三等瑞宝章を受章。
1984年:2代目として山野愛子ジェーン(長男の長女)に継がせる。
1992年:山野美容芸術短期大学を設立し、初代学長に就任。
1995年:死去。享年86。
山野 治一(やまの じいち、1907年12月10日 – 1991年11月23日)は、長野県上伊那郡朝日村(現辰野町)出身、旧名は中谷治一。1924年、逓信省東京鉄道郵便局に入り、勤務の傍ら琵琶教授を務めた。1934年に山野愛子と知り合い、山野美容講習所設立とともに総長となる。1935年に愛子と結婚。それを機に退官し、パーマーネント機械製造に従事。1949年に国際山野高等美容学校は美容師養成施設の指定を受け、財団法人山野高等美容学校は認可され、理事長となる。1969年 に藍綬褒章。1978年に勲四等旭日小綬章。


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