田中薫・千代の夫妻(渋谷区)

設置場所:渋谷区渋谷1-21-7 渋谷ファッション&アート専門学校2階 田中千代ギャラリー入口
制作者:不明、制作時期:不明
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:田中千代は昭和初期に渡欧し欧米の文化・服飾を学び、日本に近代洋裁教育、服飾デザインの礎を作った。民族衣装の研究・収集家でもあった。本校の沿革は次の通りである。
1932年:兵庫県武庫郡(現在の神戸市東灘区)に田中千代を中心に洋裁グループ(皐月会)を創設
1951年:私立学校法の施行に伴い、学校法人田中千代学園を設立
1957年:東京渋谷に東京田中千代服装学園を開設
2018年:東京吉祥寺の武蔵野美術学園を引き継ぎアート課程を新設し、渋谷ファッション&アート専門学校へ学校名を変更
田中千代(1906年8月9日 – 1999年6月28日)の略歴
1906年:東京で外交官松井慶四郎(後に男爵・外務大臣)の長女として生まれる。
1923年:雙葉高等女学校(現在の雙葉学園)を卒業。
1924年10月:地理学者の田中薫と結婚。
1928年:薫の欧米留学に同行し渡欧。ロンドン、パリ、ニューヨークに滞在する。渡欧中に語学、服飾デザインを学ぶ。
1930年:スイスでバウハウスの初代のメンバーであるヨハネス・イッテンから日本女性として初めて教育を受ける。
1931年:日本へ帰国。帰国途中の船上で鐘淵紡績の創始者武藤山治の妻千世子と知り合う。
1932年:田中は鐘淵紡績の顧問となった。
1933年:阪急百貨店婦人服部の初代デザイナーとなる。
1948年:財団法人田中千代学園を設立して、理事長・学園長となる(~1972年)。
1952年:香淳皇后の衣裳の相談役となる。
1954年:神戸女学院大学教授となり、意匠学および被服構成を担当する(~1971)。
1957年:東京都渋谷区に東京田中千代服装学園を開校。
1958年:皇太子明仁親王(現・明仁上皇)の成婚に際し、香淳皇后・皇太子妃美智子(現・上皇后美智子)・清宮貴子内親王の衣装の製作にあたる。
1972年:東京・町田市に田中千代学園短期大学 (服飾科)を設立。学長および意匠学担当教授にな る。
1977年:職業訓練行政および学校教育に対する功労として勲三等瑞宝章を受ける。
1991年10月:東京都より名誉都民の称号を贈られる。
田中薫(1898年6月11日 – 1982年9月20日)は、昭和の地理学、経済地理学者。神戸大学名誉教授。子爵の田中阿歌麿の長男として東京に生まれる。1911年に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)を卒業。1916年に卒業した東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)では、大関久五郎に学ぶ。 旧制学習院高等科を経て、東京帝国大学理学部を卒業。1924年に松井千代と結婚。その後、欧州、米国に調査旅行に出る。1946年5月10日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し、1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した。神戸大学経済学部教授、成城大学教授。神戸大時代の1957年に日本初のパタゴニア探検を行う。

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