石橋湛山(品川区)

設置場所:東京都品川区大崎4-2-16 立正大学品川キャンパス
設置時期:2021年2月17日除幕式 開校150周年記念事業の一環
制作者:竹中銅器(原型作者:池川直)
画像提供:林久治⇒銅像探索記m/f

設置経緯:石橋湛山先生(1884年9月25日 – 1973年4月25日)は日蓮宗僧侶・杉田湛誓(身延山81世)の長男として東京市芝区に生まれる。早大を卒業後、ジャーナリストを経て政界に入る。第55代内閣総理大臣(1956年12月23日 – 1957年2月25日)。立正大学学長(1952年12月-1968年3月)。
本像と同じ銅像が、東京都大田区の立正中学校・高等学校と埼玉県熊谷市立正大学熊谷キャンパスにも設置されている。
石橋像の銘文:石橋湛山(1884-1973年)は、明治から昭和にかけて活躍したジャーナリスト、政治家でした。
1884年(明治17年)、日蓮宗僧侶杉田日布(身延山第81世)の長男として東京市に生まれ、父の郷里である山梨県の寺院で僧風教育を受けて育ちました。1907(明治40)年に早稲田大学哲学科を首席で卒業後、1911(明治44)年に東洋経済新報社に入社し、主幹や社長を務めます。国際経済の観点から植民地政策を批判した「小日本主義」は、独自の平和主義として異彩を放ちました。戦後、1946(昭和21)年に第一次吉田内閣の大蔵大臣として政界に進出すると、さらに通産大臣としても活躍し、1956(昭和31)年には第55代内閣総理大臣に就任します。しかし、残念ながら翌年1月に病に倒れ、職を辞しました。それでも、日中米ソ平和同盟構想を提唱するなど、国際平和実現への意欲は衰えませんでした。
1952(昭和27)年には、戦災から復興を期す立正大学に懇請され、第16代学長に就任します。学園財政が逼迫する中、16年にわたって「理想の大学」実現のために活躍しました。みずから教壇に立ち、数々の講演をおこない、新校舎建設や熊谷キャンパス開設も実現させました。
「真実を求め至誠を捧げよう。正義を尊び邪悪を除こう。和平を願い人類に尽そう。」という建学の精神も、石橋学長時代に定められたものです。日蓮聖人の三大誓願の根本思想は、この建学の精神を経て、現在へと継承されています。

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