山川健次郎(文京区・東大)

設置場所:東京都文京区本郷7-3-1 東京大学 安田講堂裏
制作者:資生堂立体写真像部 
制作時期:1930年 喜寿祝禧
贈呈式:2006年12月21日 福田宏明氏(山川元総長の曾孫)の寄贈
画像提供:飯坂陽治さん
林久治⇒銅像探索記/f

山川健次郎(1854~1931)は会津藩士の子として生まれ、白虎隊の兵士としても戦ったが、後に黒田清輝の支援を得て国費でアメリカ留学に選抜され、イエール大学で物理学を学んだ。
帰国後、東京帝国大学で物理学を教え、大学総長となり、学年学級制から科目制の採用などの教育改革や総長公選制の導入などを行った方です。

本像横の説明パネルに以下の記載がある。(画像提供:林久治)
山川健次郎(1854-1931)
会津若松の山川重固の三男として生まれる。少年時代に白虎隊士を経験したのち、米国エール大学で物理学を学んだ。帰国後、東京開成学校教授補などを経て、明治12年に26歳の若さで東京大学理学部の物理学主任教授に就任した。清廉潔白な人柄は多くの人の信頼を集め、社会を導く人という意味で「星座の人」と呼ばれた。大学が自治問題に揺れる中を、2度にわたり東京帝国大学総長を務めた。2度目の在任中には自治紛争で揺れる京都帝国大学にも総長を依頼され、10ケ月にわたって東京帝国大学と東京帝国大学の総長を兼ねた。九州帝国大学初代総長、貴族院勅撰議員、東宮御学問所評議員ほか多くの要職を務め、大正4年に男爵の爵位を授与された。多くの弟子を育てたことでも知られており、学問と教育に情熱を注ぎ日本の礎を築いた。

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