設置場所:東京都渋谷区渋谷4-4-25 青山学院大学間島記念館前
制作者:澤田政廣(1894-1988)、号は「晴廣」、文化勲章受章者
設置時期:1951年
画像提供:化学さん
林久治⇒銅像探索記f
設置経緯:本多庸一(ほんだ・よういつ、1849年1月7日 – 1912年3月26日)先生は、日本のキリスト教伝道者・牧師・教育者・政治家。日本メソヂスト教会の初代監督。青森県弘前市生まれ。新島襄、植村正久、内村鑑三、新渡戸稲造と並び、明治期日本におけるキリスト教主義教育の先駆者とされる。維新後は弘前藩の命令で、1870年に英語を学ぶために横浜に留学した。横浜修文館で、オランダ改革派のアメリカ人宣教師のS.R.ブラウンらに英語を学んだ。1871年には、ジェームス・バラが小さな会堂で開いていたバラ塾に入学する。1872年にバラから受洗し、キリスト者となる。バラ塾の塾生と共に、1873年に開校されたS・R・ブラウンの私塾であるブラウン塾に入学し、ブラウンから英語を学んだ。1872年に弘前に帰郷して、廃藩置県の影響で廃校となっていた東奥義塾を再興し、その年の12月より塾長を勤める。塾長の働きの傍ら1876年に東北最古のプロテスタント教会である弘前教会をジョン・イングと共に設立し、初代牧師を兼務する。1886年に設立された仙台美以教会の初代牧師に就任する。1987年に東京英和学校へ移動し、築地美以教会の長老(正教師)になる。1888年9月より米国に洋行し、ドルー神学校で本格的に神学を学ぶ。1890年6月に帰国後、東京英和学校の校主(校長)に就任し、1894年に青山学院と改称し第2代院長(1907年まで)となり、学院発展の基礎を築く。
本像背面の制作者サイン:晴廣作
制作者:澤田政廣(1894-1988)、号は「晴廣」、文化勲章受章者