二木謙三(豊島区)

設置時期:1962 年に建立(創立70 周年記念)
制作:立体写真像(盛岡勇夫が1927 年に発明)
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

二木謙三先生之像:二木先生(ふたき、1873.1.10- 1966.4.27)は本校の第4 代校長(1940-1962)で中興の祖。1948 年、校名を「牛込高等女学校」より「豊島岡女子学園中学校・高等学校」に改称。
設置経緯(胸像台座の銘文):
先生名は謙三、素堂と号す。明治六年一月秋田市樋口順泰の二男として生まれ幼にして二木氏を継ぐ。山口高等学校より東京帝国大学医科大学に進み細菌学を専攻す。卒業するや直ちに東京市駒込病院に於いて伝染病の研究に励み、更にドイツに留学して、斯学の研鑽に励む。又東京帝国大学教授として研究と教育に精進すると共に、駒込病院長をも兼ね、医学界に多大の貢献をなす。この間コレラ菌、赤痢菌新種の発見、鼠咬症、流行性脳膜炎の研究等わが国における伝染病研究に寄与するところ極めて大なり。昭和二十六年日本学士院会員、更に同三十年十一月文化勲章を授与せらる。先生は本学園創設者河村常子先生とは大学在学時代より相い知る所となり、臼井政子先生の後を受けで第四代校長に就任す。太平洋戦争による廃墟に中より、あらゆる困難辛苦を克服して本学園を再建せしめたるは、一に先生の高邁なる人格見識と不撓不屈の努力によるもとして、正に中興の英主といふべし、創立七十周年の佳辰に当たり先生の功徳を永く伝へるべく同窓会これを建立す。
昭和三十七年十一月 二木友吉 謹記

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