香川昇三・綾夫妻(豊島区)

場所:豊島区駒込 女子栄養大学大学駒込キャンパス正門
建立年月日:1957年7月17日(香川昇三像)
      1986年2月28日(香川綾像)
製作者:赤塚秀雄
建立者:香川栄養学園香友会
画像提供:林久治さん


香川昇三

郡榎井村(現・琴平町)生まれ。東京帝大業後、母校の島薗内科でビタミンの研究にあたる。
1933年妻の綾と自宅に家庭食養研究会(現・女子栄養大学)を設立。「月刊栄養」の創刊、胚芽米の奨励など栄養学の普及に努めた。
胸像は香川昇三の十三回忌で製作された


香川綾

設置経緯:香川綾(1899-1997)は和歌山県東牟婁郡本宮村(現:田辺市)に警察官・横巻一茂とのぶ枝の娘として生まれる。
14歳の時に母を肺炎で亡くし、この経験から医師を志すようになる。
1930年、島薗内科でビタミンの研究を行なっていた香川昇三と結婚。
1933年、家庭食養研究会を夫とともに設立。1945年7月17日、戦争の疎開先で昇三と死別。1961年、女子栄養大学を創設し、学長に就任。1991年、文化功労者の顕彰。日本の現代栄養学の礎を築いた「栄養学の母」ともいえる女性。
胸像は米寿記念で製作された


1 comment

  1. 林 久治 -

    本像の探索記は、「林久治のHP」の「乱歩」欄の次の記事に記載しました。
    「第103 回 女子栄養大学の香川昇三・綾夫妻像」
    香川昇三先生(1895-1945)の略歴を以下に記載します。
    香川昇三先生略歴(銅像背面の銘文より)
    医学博士香川昇三は明治二十八年香川県に生まれ第一高等学校東京帝国大学医学部を卒し島薗内科にて脚気の研究を行い栄養学先駆者の一人である。昭和八年夫人綾と共に女子栄養学園を創設し□学後進の育成に努め栄養改善に寄与した。昭和二十年終戦直前に学園疎開地群馬県赤城山麓宮城村において過労のため脳出血により急逝した。享年五十一
    昭和五十二年七月十七日十三回忌に当り学園関係者及知友の賛助をえて。
    女子栄養学園 女子栄養短期大学 香友会建てる

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