By ヒロ団長2021年3月28日Category: 13.東京都の銅像, 23区:城東, 墨田区 設置場所:東京都墨田区横網1-5-2 日本大学第一中学校・高等学校制作者:藤野舜正(1903—1974)設置時期:1952年画像提供:ヒロ団長林久治⇒銅像探索記/f 設置経緯:加納金助氏(1883年9月4日 – 1953年12月5日)は、日本の政治家、教育者、日本大学常任理事、日本大学副会頭、日本大学第一学園初代理事長。千葉市長(第5、9、10代)、参議院議員(1期)。1883年千葉県下埴生郡小菅村(現成田市小菅)で代々農業を営む藤崎家の三男として誕生。1898年4月成田中学校に入学1903年卒業。1903年國學院大學高等師範部に入学、同年9月転じて日本大学高等師範部(現在の文理学部)に入学1906年卒業。1906年、日本大学専門部法律科入学。在学中の1908年11月30日、加納家の長女由香と結婚し姓も加納と改められる。1909年日本大学法学部入学、1910年9月千葉県立千葉中学校の教壇に立つ。1912年11月法学部に在学のまま日本大学に転職され、時の大学常任理事石渡敏一の片腕として付属中学校の設立に関わる。1913年2月14日、日本大学中学校設立認可となり幹事教諭として草創期の学校経営に参画。1915年3月法学部卒業。1924年9月日本大学理工学部の先駆である日本大学商工学校(現在の日本大学第一中学校・高等学校)を併設し初代校長となる。 藤野舜正氏(1903年9月27日 – 1974年12月30日)は、日本の彫刻家。本名は藤野隆秋。群馬県館林町裏宿(現館林市城町付近)出身。はじめ後藤良に木彫を習い、のち北村西望に師事し、1928年3月東京美術学校彫刻科選科塑造部を卒業した。1968年大病を患い声帯摘出の手術をして快気したのを契機に、雅号を天光と改めるまでは舜正と称していた。千葉県市川市の地域文化発展に貢献。日展審査員を6回、さらに理事をつとめた。戦後は文化運動者としても活動した。また師北村西望作の長崎平和祈念像の制作筆頭助手をつとめた。晩年は千葉県立美術館の建設促進に献身した。