設置場所:東京都港区白金台1-2-37 明治学院大学7号館(ヘボン館)前
制作者:瀬戸団治
建立時期:1966年3月26日
寄贈者:1962年度生 卒業記念
画像提供:うさぎ屋さん
林久治⇒銅像探索記/f


設置経緯:ジェームス・カーティス・ヘボン(英語: James Curtis Hepburn、1815年3月13日 – 1911年9月21日)は、米国長老派教会の医療伝道宣教師、医師。

明治学院大学初代総理(現在の学院長)医学博士・法学博士。1815年3月18日アメリカ合衆国ペンシルバニア州ミルトンに生まれ、プリンストン、ペンシルバニア両大学に学び、1841年から45年まで東洋伝道に従事。帰米後、ニューヨークで病院を開業。日本の開国を知り、1859(安政6)年アメリカ長老教会宣教医として来日した。
神奈川・横浜に施療所を開いて近代医術による治療を実施。1863(文久3)年にはヘボン塾を開設し、さらに1867(慶應3)年、いわゆるヘボン式ローマ字を用いて「和英語林集成」を完成した。
ヘボン塾はその後築地大学校、東京一致英和学校となり、1886(明治19)年に東京一致神学校と合流して明治学院となった。
日本のキリスト教界への博士の貢献は、聖書和訳にあったが、また横浜指路教会創建に尽瘁する所も大であった。1889(同22)年明治学院総理に選ばれ、在任2年、1892(同25)年帰米した。ニュージャージー州イーストオレンジに隠棲したが、1911(同44)年9月21日その地において召天した。
博士は「和英語林集成」の版権を丸善に譲渡し、所得を明治学院に寄附された。その寄付金を基金として、学生寮ヘボン館が1887(明治20)年に建てられた。奇しくも博士が召天した同日早朝ヘボン館は出火全焼したが、半世紀後の1966(昭和41)年に新築したこの研究棟を「ヘボン館」と命名した。
