設置場所:東京都港区芝公園3-5-37 芝中学・高等学校正門奥
戦前の建立:1934年1月20日 芝中學校同窓會・芝中學校父兄會
再建:1957年4月26日 芝学園同窓會・芝学園P.T.A
製作者:土屋瑞穂
画像提供:NANAKOさん、銅像探索記:林久治
芝中学・高校は、1887年に設立の浄土宗学士校が前身です。
渡辺海旭は、1911年第三代校長。
「遵法自治」を説いた、カルピスの命名の親。
設置経緯:
芝学園の歴史は、1887(明治20)年に「浄土宗学東京支校」が開校されたのに始まり、1906(明治39)年に芝中学校になりました。
第1回生の卒業生でもある、第3代の校長である渡邊海旭(わたなべかいぎょく)先生は、初代校長の松波先生、2代目の荻原先生と一緒に「大正新脩大蔵経」(たいしょうしんしゅうだいぞうきょう)という書を編纂されたことで有名ですが、「ボランティア」の元になる「社会事業」という言葉を作った方でもあります。
現在まで続く本校の伝統「遵法自治」という言葉も、海旭先生が作られました。
本校の校風は「遵法自治」と、浄土宗の教えである「共生」(ともいき)を二つの柱にしています。
「人間教育・芝」と言い換えることも多いのですが、子どもの「人間力」を育てていくことを重視しています。
渡辺海旭(わたなべ かいきょく、1872年2月23日 – 1933年1月26日)は、東京・浅草出身の学僧。浄土宗の僧侶。
社会事業家。阿雷狂史・壺月と号す。
1900年、浄土宗第一期海外留学生としてドイツへ留学。カイザー・ウィルヘルム第二世大学(ストラスブルク大学)に入学。エルンスト・ロイマンに師事。
1907年、ドクトル・フィロソフィーの学位を受け、1910年に帰国。ただちに宗教大学、東洋大学教授に就任。
1911年、回向院本多浄厳らと協力して、深川区平野町にドイツ的セツルメントの浄土宗労働共済会を設立。
同年、芝中学校校長に就任し、死去までの20余年務める。
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