犬丸徹三(港区)

設置場所:東京都港区芝公園1-5-10 芝パークホテル別館1階ロビー、
制作者:朝倉文夫、建立時期:不明
画像提供:林 久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:犬丸徹三(1887-1981)は石川県出身で一橋大を卒業、海外で下積み体験が開花した。1919 年帝国ホテル入社 副支配人、1923 年同支配人、1931 年同取締役、1942 年 代表取締役、1943 年 専務取締役、1945 年12 月社長に就任。(マッカーサーが着任した際には、焼け野原となった東京を視察する彼の運転手をしたのは石丸であった。なお、ウィキペディアには、1945 年2月に犬丸が帝国ホテルの社長就任とあるが、これは12 月のミスプリである。終戦当時、大倉喜八郎(1837-1928)の長男である大倉喜七郎(1882-1963)が父の後を継いで帝国ホテル社長であったが、公職追放により犬丸に代わった。喜七郎は追放解除後、帝国ホテル社長の復職を狙ったが、犬丸に阻止され、ホテルオークラを開業した。)
石丸の関東大震災時の対応は素晴らしく、大混乱の中で、すぐに披露宴中止を決定し、調理場の火を消すように指示した。向かいの建物には火が回っていたが、犬丸は従業員たちに窓を閉めるよう命じ、さらにバケツ部隊を編成し、ホテル入口にある池から水を汲み、屋根にかけさせた。バケツ部隊は火が出ていた向かいの建物にも水をかけ、ホテルの類焼を食い止めた。道路をはさんだ向かい側の東京電燈会社が黒煙を上げて燃え、帝国ホテルの建物は無事だったという当時の写真も残っている。犬丸は関東大震災の直後、避難民に食料を無料で提供し、新聞社や会社、各国大使館に空き室を開放するなどして、救援活動に尽力した。この功績で、英・仏・伊の三国から勲章を受けた。帝国ホテルの社長に就任した石丸は、外国の政治家や芸術家などの接待を通して民間外交を展開し、「世界のホテル王」として知られ、外交官も及ばないほど国際親善に努めた。
1947 年共立薬科大学の女子寄宿舎(昭和8 年竣工)をG・H・Q が接収し、将校宿舎として使用を開始した。これが芝パークホテルの前身である。1948 年貿易庁の管理の下、外国貿易使節団ホテルとして「芝パークホテル」の運営が始まった。運営受託人は犬丸(当時帝国ホテル社長)。1949 年貿易庁の管理を離れ民営化、株式会社芝パークホテルが設立され、取締役社長には犬丸が就任。

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