設置場所:東京都港区芝公園1-5-10 芝パークホテル別館1階ロビー、
制作者:朝倉文夫、建立時期:不明
画像提供:林 久治⇒銅像探索記/f

石丸の関東大震災時の対応は素晴らしく、大混乱の中で、すぐに披露宴中止を決定し、調理場の火を消すように指示した。向かいの建物には火が回っていたが、犬丸は従業員たちに窓を閉めるよう命じ、さらにバケツ部隊を編成し、ホテル入口にある池から水を汲み、屋根にかけさせた。バケツ部隊は火が出ていた向かいの建物にも水をかけ、ホテルの類焼を食い止めた。道路をはさんだ向かい側の東京電燈会社が黒煙を上げて燃え、帝国ホテルの建物は無事だったという当時の写真も残っている。犬丸は関東大震災の直後、避難民に食料を無料で提供し、新聞社や会社、各国大使館に空き室を開放するなどして、救援活動に尽力した。この功績で、英・仏・伊の三国から勲章を受けた。帝国ホテルの社長に就任した石丸は、外国の政治家や芸術家などの接待を通して民間外交を展開し、「世界のホテル王」として知られ、外交官も及ばないほど国際親善に努めた。
1947 年共立薬科大学の女子寄宿舎(昭和8 年竣工)をG・H・Q が接収し、将校宿舎として使用を開始した。これが芝パークホテルの前身である。1948 年貿易庁の管理の下、外国貿易使節団ホテルとして「芝パークホテル」の運営が始まった。運営受託人は犬丸(当時帝国ホテル社長)。1949 年貿易庁の管理を離れ民営化、株式会社芝パークホテルが設立され、取締役社長には犬丸が就任。