夏目漱石(新宿区)

場所:新宿区早稲田南町7 漱石山房記念館前
制作時期:1991年2月9日
制作者:富永直樹
画像提供:

設置経緯(漱石山房記念館の案内板より)
新宿区指定史跡 夏目漱石終焉の地
所在地 新宿区早稲田南町七番地 指定年月日 昭和61年10月3日
この地は、作家・夏目漱石が明治40年(1907)9月29日から亡くなる大正5年(1916)12月9日まで暮らした、通称「漱石山房」の跡地である。
漱石山房は木造平屋建ての和洋折衷の建物で、漱石は洋間二間を書斎・客間として使用した。漱石は「坑夫」を皮切りに。「三四郎」「それから」「門」「こころ」「道草」などの代表作をこの地で発表し、「明暗」の連載半ばに胃潰瘍により世を去った。享年49歳。
漱石没後の大正7年(1918)には、漱石の夫人鏡子がこの土地を購入し、母屋の増改築を行うとともに、漱石が使用していた書斎・客間・回廊を曳家し、保存した。
その後、漱石山房は昭和20年(1945)5月25日の空襲で焼失し、跡地は昭和25年(1950)に東京都の所有となった。跡地は長らく都営アパート(昭和52年に区に移管され、区営アパートとなる)の敷地として使用されていたが、昭和51年(1976)にはその一部に漱石公園が、平成29年(2017)9月24日には、区営アパートの移転に伴い、全国で初めてとなる本格的な漱石の記念館「新宿区立漱石山房記念館」が開館した。
平成30年3月 新宿区教育委員会

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