設置場所:長崎県大村市久原2-1001-1 長崎医療センター内 長與專齋旧宅
移設時期:2013年5月
画像提供:デビール☆マンさん
林久治⇒銅像探索記/f


制作者:北村西望
建立時期:1956年
建立場所:大村市民病院
設置経緯:長與專齋(ながよ・せんさい、1838年10月16日—1902年9月8日)は肥前国大村藩(現在の長崎県大村市)に代々仕える漢方医・長与中庵の子として生まれる。種痘で有名な大村藩医・長與俊達の孫で、父・中庵は專齋が2歳7か月の時没したため、祖父に育てられ医師を志す。大村藩校の五教館で学び、1854年大坂の緒方洪庵が主宰する適塾で学び、福沢諭吉の後を受け塾頭となる。1859年長崎医学伝習所でポンぺのもとで西洋医学を学び、長崎大学医学部の前身である精得館学頭となる。岩倉具視視察団の一員として欧米医事制度視察の後、1873年文部省医務局長、1876年内務省衛生局初代局長となる(衛生という言葉は專齋による)。專齋の幾多の業績の中で、医制76条の制定は近代医療制度の基礎を築いたもので、医師国家試験制度、日本薬局方はじめ枚挙にいとまがない功績を残し、近代医療制度の父といわれる所以となった。
長與稱吉(向かって左側)
制作者:新海竹蔵
建立時期:1936年、27回忌
建立場所:東京都の平山胃腸病院
設置経緯:長與稱吉(ながよ・しょうきち、1866年2月21日 – 1910年9月5日)は長與專齋の長男として、肥前国大村(現・長崎県大村市)に生まれる。1884年ドイツに留学。ミュンヘン及びビュルツブルグ大学で消化器病学を研鑽。1893年帰国。日本で最初の胃腸病專門病院を日本橋に開業。1896年 内幸町に「胃腸病院」を建設する。1898年胃腸病院院長・長與稱吉主宰による「胃腸病研究会」が創設され、本会が日本消化器病学会に発展する。稱吉は発足より12年間、日本消化器病学会会長を務め、西洋医学発展に多大な貢献をした。なお、平山金蔵(1876—1932)の妻・道子は長與專齋の三女。金蔵は義兄・稱吉の死後、長与胃腸病院院長を引き継ぐ。日本消化器医学会会長、日本医科大学理事なども務め胃腸病学の大家となる。
画像出典:宜雨宜晴亭(長與專齋 旧宅) – 独立行政法人国立病院機構 長崎医療センター

