設置場所:東京都世田谷区太子堂3-30-8 円泉寺太子堂横
設置時期:1958年11月(世田谷左官組合が創立35周年記念で寄贈)
製作者:加瀬朝香(世田谷区若林松陰神社の松陰像も製作)
設置経緯:円泉寺は、遅くとも南北朝時代の末期に太子堂と小堂が出来ていたものと推測されている。その後、文禄4年(1595年)になって賢恵によって中興がなされた。「世田谷の地名」(世田谷区教育委員会)などが載せる伝承によると、久米寺(現在の奈良県橿原市)から聖徳太子像と十一面観音像を背負って布教のため関東地方に訪れていた賢恵が当地で一泊した際、夢に現れた聖徳太子が、当時は霊泉が湧き出ていたこの地で祀られることの望んだため、堂宇を建てたという。明治4年(1871年)、世田谷区内では初となる学校であり、世田谷区内の近代教育のはしりとも言える太子堂郷学所が、付近の村の有志たちにより建立された。郷学所では四民平等の理念に基づき平等に教育を行い、世田谷の教育界において大きな影響を与えた宮野芟平(さんぺい)を教師として招いた。太子堂郷学所は一時期、当寺院内に校舎が置かれた。
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