場所:高市郡高取町 大字丹生谷 因光寺
画像提供:Alexさん
「大和の清九郎」と呼ばれている江戸時代中期の人物。
清九郎は信心に篤い母親に育てられ、親孝行の息子であった。
家計を助けるために丁稚奉公に出るが、無学文盲であったため奉公先でイジメられ博打・盗みなど非行に走り転落してしまうが改心して「仏の清九郎」と呼ばれるまでになったストーリーが地元では語り継がれている。
親孝行の話を聞いた高取藩主から褒美として米5俵を贈られたが孝行は当然と辞退をする。
その志にうたれた藩主は再び清九郎を呼び、領内の山の木や柴を自由に刈り取ってよいという特権を与えたという話も残る。
信仰心の篤い清九郎は、ある時、親鸞聖人の逮夜(たいや)の仏飯用の薪を献上するために大和国から京都まで十八里(72キロ)を歩いて上洛した。
その姿が銅像になっている。