設置場所:新宿区神楽坂1-3 東京理科大学近代科学資料館2階展示室 画像提供:林 久治⇒銅像探索記/f (当館は、2019年4月からリニューアルのため休館中)
設置経緯:大河内正敏(おおこうち まさとし、1879.12.6-1952.8.29)は、物理学者であり実業家である。旧上総大多喜藩主で、子爵大河内正質の長男として東京浜松町に生まれた。のち旧三河吉田藩の子爵大河内家の養子となり、最後の藩主・大河内信古の娘を妻に迎える。学習院初等科時代は、大正天皇の御学友であった。第一高等中学校を経て、東京帝国大学工学部造兵学科に入学。1903 年、東京帝大を首席卒業(正確には、「恩賜の銀時計」を受ける)、講師となる。その後私費でヨーロッパに留学。その後の、大河内先生の主な経歴は次の通りである。 1911-1925:東京帝国大学工学部造兵学科・教授(退職後は理研に専念) 1915-1946:貴族院議員(ただし、中断の時期がある。) 1918:原内閣の海軍省政務次官 1921-1946:理化学研究所・第3代所長 1927-1946:理化学興業・会長 1934-1945:東京物理学校・第4代校長 1945-1946:A級戦犯容疑で巣鴨拘置所の収監 1946-1951:公職追放 大河内所長は、理研に主任研究員に自由をもたせる研究室制度を導入するとともに、研究成果の事業化を進め、理研を国際的な研究機関にまで育て上げた。