浅沼稲次郎(中央区)

設置場所:東京都中央区湊3-18-17 マルキ榎本ビル5階 社民党本部受付ロビー
建立時期:1964 年5月9日 社会文化会館の落成披露の際、除幕式が行なわれた。
製作者:不明
画像提供:林 久治⇒銅像探索記/f 
設置経緯:浅沼稲次郎(1898.12.27-1960.10.12)は東京都三宅島の出身で、戦後は大衆的な人柄と逞しい体格で、機関車のように社会党を牽引していた。1960 年安保の時代には、浅沼先生は三代目の社会党委員長(在任:1960.3.23-1960.10.12)であった。安保騒動の後、総選挙(1960.11.20)の前哨戦として、1960 年10 月12 日に日比谷公会堂で開催された自民・社会・民社3 党首立会演説会(NHK 主催)に参加した浅沼先生は、演説中に突然壇上に上がって来た17 歳右翼少年の凶刃に腹部を刺され、非業の最期を遂げた。
 なお、1996 年1月に社会党は社民党に改称した。2011 年の東日本大震災以後、ビルの耐震性が問題視され、専門家による耐震診断によれば社会文化会館は「即時使用制限」とされたため、2013 年3月より解体開始。社民党本部は、総理大臣官邸の裏に立地する「永田町ビル」の2 階へ、2013 年1 月26・27 両日に移転した。2013 年5月16 日、永田町ビルでの浅沼稲次郎像除幕式が行われた。社民党本部は2017 年5月に、現在の場所(マルキ榎本ビル5 階)に再移転している。
台座の銘文
 彼は大衆を愛し大衆は彼を愛した 解放の戦士浅沼稲次郎 彼はいまも我等の中に生きている 反動の牙刃に六十一年生涯を閉じるまで休みなく彼は斗いつヾけた 耳を澄せば彼の叫びが大衆の唸りが今日もきこえる
 明治三十一年十二月三宅島に生まれ 
 昭和三十五年十月十二日暴漢の手に死す
 一九六四年三月 河上丈太郎
台座の銘文 浅沼委員長の死を悼む
 一九六〇年十月十二日 沼さんは倒れた でない 倒された 一本の刃で突如
 けれども然し その全生涯を行動してきたあなたの正義の夢は
 沼さん断じて死なせない その夢を生かせ その夢をたちきったものを
 そのすべてをあばけ 日本の現在のために 未来のために 
 これから生まれる新しい歴史のために      草野心平

Leave Comment