場所:富士市 広見公園
日露和親条約の締結交渉を実施したロシアの外交使節団の提督。
日露和親条約締結140周年の1994年にロシアの作家より友好の証としてこの像が進呈されました。
<逸話>
日露和親条約の交渉で 下田に停泊していた最中に安政の大地震が発生、ディアナ号が転覆。
そのときに地元の漁師達の勇気ある行動で、ディアナ号の乗組員を救出した場面の銅像です
転覆したディアナ号の代わりの船を村民の協力も得ながら完成させ、無事ロシアの首都に帰還を果たします。
プチャーチンは村民の好意に感激し、代船の名前を地元の村(戸田村)の名を付け「ヘダ号」としたとのこと。
プチャーチンの死後、1887年(明治20年)に孫娘のオルガ・プチャーチナ女伯が戸田村を訪ね、プチャーチンの遺言により、当時の村人の好意に感謝して100ルーブルの寄付をしたというエピソードも残っています。
※本来はこの銅像の背景に富士山が見えるのですが、こちら晴天にも関わらず、富士山頂が雲で覆われて全く見えず・・・残念。