中小路宗城・宗康の父子(長岡京市)

設置場所:京都府長岡京市天神2-15-13 長岡天満宮・社務所前
建設時期;宗城像(向かって左:没後 50 年の1986 年に子の宗康氏が建立)、宗康像(向かって右:本殿移築 70 年を記念して2011 年に子の宗隆氏が建立)
画像提供:林 久治⇒銅像探索記/f
設置経緯:長岡天満宮の周辺は平安時代、菅原道真の所領であったとされ、道真が在原業平らと共に、しばしば遊んで詩歌管弦を楽しんだ縁深いところであるという。 昌泰4年(901年)に道真が大宰府へ左遷された時、長岡に立ち寄り、「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しんだ。左遷の際道真に付き従ったのが、菅原氏の一族とされる中小路宗則であり、宗則は高槻まで同船し、帰り際に道真から道真自作の木像と念持仏を託され持ち帰り、道真の死後その木像を祀ったのが当天満宮の創立とされている。
また、道真の大宰府左遷に付き従った中小路宗則は大宰府で過ごし、道真の死後に東小路祐房と共に道真自作の像と念持仏を持ち帰り、祠を建てて安置したことが始まりとも言われる。爾来皇室の崇敬篤く度々の寄進造営をうけた。寛永15年(1638年)には当社の東の地に領主であった八条宮智仁親王によって「八条ヶ池」が築造された。
その後荒廃していたが、明治になり中興の祖である宮司の中小路宗城(1864-1936)が境内や奉賛会の整備を行い復興、長岡天満宮は宗城の代に村社から郷社、さらに府社へと社格を上げることになった。一代で二度の社格昇格は極めて珍しい例である。その後1928年(昭和3年)には新京阪鉄道が当社の名前を冠した長岡天神駅を開業させ、さらに賑わうこととなる。
息子の中小路宗康(1903-1990)も1941年(昭和16年)に平安神宮の旧本殿、祝詞舎、透塀を拝領し現在の境内がほぼ完成する。
中小路宗城大人(1864-1936)之像
中小路宗康大人(1903-1990)之像

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