設置場所:京都市伏見区醍醐・醍醐山1 上醍醐寺五大堂前(中央 建立時期、製作者は不明。 画像提供:林 久治⇒銅像探索記/f
設置経緯:理源大師聖宝(832-909) は讃岐国塩飽諸島の本島で生まれ。弘法大師空海の孫弟子にあたる。また、役小角に私淑して吉野の金峰山で山岳修行を行うとともに、参詣道の整備や仏像造立などで金峰山の発展に尽力した。このため、聖宝を、役小角以降途絶えていた修験道の再興の祖とする伝承が生まれた。平安時代初期の貞観16年(874年)、理源大師は准胝観音ならびに如意輪観音を笠取山頂上に迎えて開山し、聖宝は同山頂付近を「醍醐山」と名付けた。醍醐とは、「大般涅槃経」などの仏典に尊い教えの比喩として登場する乳製品である。貞観18年(876年)には聖宝によって准胝堂と如意輪堂が建立されている。
五大堂:醍醐天皇御願により、延喜七年(907)に建立された五大堂であるが、再建の都度に祝融にあい、慶長十一年(1606)豊臣秀頼再建の様式を伝え、昭和十五年(1940)に再建されたものである。お祀りしてある不動明王、降三世夜叉明王、軍茶利夜叉明王、大威徳明王、金剛夜叉明王、国土安泰、消除不祥の御誓願をもち“五大力さん”の通称で尊崇され、毎年二月二十三日仁王会大法要が厳修されて盗難徐、災難身代わりの霊符が授与されている。 祝融(しゅくゆう):炎帝の子孫とされ火を司る。そのため火災にあう事を「祝融に遇う」と喩える場合がある。