河野秀(大宮区)

設置場所:さいたま市大宮区土手町3-182 四恩寺本堂横
建立時期:1967年4月
製作者:建畠 覚造(たてはた かくぞう・1919-2006)
画像提供:林 久治⇒銅像探索記/f
河野秀翁胸像の設置経緯:(胸像記の記載)河野翁は明治二十一年(1888年)一月十日静岡市に於いて喜一氏の次男として生まれ、大正九年(1920年)四月自動車ボディ‐の製作に志し、東京市渋谷村に河野製作所を創立して操業を開始した。大正十三年目黒区下目黒一丁目八〇番地に移転。昭和二十年八月終戦を迎えるに当たり、米軍に占領されるやマッカーサー元帥より都の救急車整備を命ぜられ、ほとんど自費を以って四十台の救急車を制作した。この功績が天聞に達し昭和三十一年紺綬褒章を授与された。その後昭和三十八年大宮工場を設立、翁の八十才を迎えられた本吉日、恰も事業を開始されて五十周年に当たるので、この二重の慶事を祝し、社業百年の隆盛を祈念、翁の健康を祝福し、その業績を永く伝えん事を希い、有志各位の協賛を仰ぎ。ここに胸像を建立せしものである。
昭和四十二年(1967年)四月吉日 有志一同 題字揮毫/賀屋興宣

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