中村重太郎(越谷市)

設置場所:埼玉県越谷市レイクタウン9-42 レイクタウン湖畔の森公園
制作者:立体写真像 盛岡勇夫
制作時期:1939年4月
現地移設:2008年
画像提供:ヒロ団長
林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:中村重太郎氏(1871年—1941年12月9日)は、平安時代に当地に定住・開拓を進めた大相模氏の25代当主。 1889年、7つの村が合併した大相模村(現・越谷市)の誕生に伴って、初代村長となり、後、8期32年勤め上げることとなる。村長時代に外来種を中心とした養鶏事業を積極的に導入し、地域の発展に尽力する。

本像前の説明パネルには、以下の記載がある。(画像提供:林久治)
中村重太郎翁 1871年(明治四年)~1941年(昭和十六年)
大成町二丁目地内・大相模中村家二十五代当主
 中村重太郎翁は、明治二十二年(1889年)、西方・東方・見田方に三分されていた旧大相模郷三か村に中川沿いの南百・四条・別府・千疋の四か村を加えた新しい大相模村の誕生に伴い、その混沌とした創世記の初代村長を務め、その後、8期32年間の長い期間、体制の整備と地域の新興とに尽力した。
 特に、外来種を核とした養鶏事業(当地における養鶏盛行の証として相模町六丁目・大聖寺の境内に「鶏魂碑」が建てられている)の積極的な導入には、今に語り継がれる功績がある。
 この銅像の建立は、太平洋戦争勃発の翌日に死亡した翁の無欲で謹厳な人柄を偲び、その功績を讃えた、困窮時における村民の篤志に依るものであ
 なお、翁の家系は、平安時代末期に当地に定住・開拓を進めた武蔵七党野与党の一族、初代大相模次郎能高以来継承されているが、近世郷村制の施行後は、居住地東方が「中の村」になることから「中村」に改姓、同村上組の名主を世襲している。 越谷市

Leave Comment