場所:敦賀市 武田耕雲斎等の墓所(松原公民館横)
幕末(1864年)に水戸天狗党の首領に祭り上げられ尊皇攘夷の運動を興し筑波で挙兵。
その頃、京都でも尊皇攘夷派の長州藩の動きが目立ちますが、水戸天狗党の挙兵の動きにも後押しをされていたようです。
しかし「禁門の変」で長州藩が朝敵となると、水戸天狗党など筑波勢に対しても追討軍が派遣されました。
武田耕雲斎一行は、京都の朝廷に志を訴えようと一橋慶喜を頼りに京へ出発します。
しかし敦賀に入ったところで頼みとしていた一橋慶喜も追討軍として出征をしていると聞き、これ以上の進軍を断念し投稿。結局処刑されてしまいます。