小池幸三郎(川口市)

場所:川口市 金山町 川口神社
建立年月日:1936年
製作者:富田匠
画像提供:飯坂陽治さん

小池幸三郎氏(明治13年~37年)は海軍一等機関兵として日露戦争において旅順閉塞作戦に志願し名誉の戦死を遂げられた方です。
昭和11年に日露戦役30周年を記念して川口市公会堂に胸像が建設されたものです。

1 comment

  1. 林 久治 -

    小池幸三郎(川口市)
    設置場所:埼玉県川口市金山町6-15 川口神社境内
    制作者:情報求む!
    設置:1936年、日露戦争戦勝30周年を記念して川口市公会堂(現在の川口市立中央公民館)前に設置。
    移設日:1995年5月27日、川口市海交会によって、川口神社境内に移転。
    画像提供:飯坂陽治さん
    林久治⇒銅像探索記/f
    http://masaniwa.web.fc2.com/RW-214.pdf
    設置経緯:小池幸三郎氏(1880年7月15日-1904年3月27日)は現在の川口市に生まれる。幼くして鋳物工場の徒弟となる。1900年、徴兵年齢に達し、横須賀海兵団に入団。1904年2月10日、日露戦争が勃発。同年3月27日、連合艦隊は第二回旅順港閉塞作戦を実施。小池2等機関兵(没後、1等機関兵)は閉塞隊に志願し、広瀬武夫少佐(没後、中佐)指揮する福井丸に乗組し作戦に従事。閉塞船福井丸沈没後、カッターボートにて帰還途中に、小池2等機関兵は被弾し戦死を遂げる。享年二十五歳。台座正面に以下の碑文あり。
    海軍一等機関兵小池幸三郎を偲ぶ
    君は小池武平氏の次子。
    明治13年7月15日、川口町268番地に生る。
    明治33年12月横須賀海兵団に入り、同35年6月軍艦高千穂の乗組員となる。
    日露の戦役起るや直ちに旅順の攻略に従い、決死旅順港口第二次閉塞隊に志願し、広瀬武夫海軍中佐指揮の福井丸に乗船して、猛砲火の下に港口水道に突入したが、黄金山の西海岸半鏈に達した時、ついに敵駆逐艦の魚雷をうけた。
    よって自ら爆沈して任務を完遂し、広瀬中佐・杉野兵曹長と共に帰らず、英魂とこしえに靖国の霊となる。
    実に明治37年5月23日夜である。

Leave Comment