設置場所:東京都品川区旗の台3-2-17 学校法人文教大学学園 桜ガーデン
制作者:大槻一ニ
設置時期:1977年10月17日 創立50周年記念
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:小野光洋(1898年4月4日 – 1965年11月19日)先生は、山梨県東八代郡富士見村(現・笛吹市)東油の妙油寺住職小野日祥の息子として生まれる。1918年旧制甲府中学卒業後、日蓮宗大学補習科入学、また同時期に得度。1924年日蓮宗大学本科を卒業後、翌年、同大学が立正大学となったため再度文学部哲学科に入学。1927年馬田行啓と共に立正学園(学校法人文教大学学園の前身)を設立。戦後1946年には同学園理事長に就任するほか、学園の各種学校の校長にもなった。1953年には新設された立正学園女子短期大学の学長に就任。また1947年には日本私立中学高等学校連合会理事長にもなった。1947年には第1回参議院議員通常選挙に自由党から全国区で立候補し当選した。第2次吉田内閣の文部政務次官として執務に当たるも、法隆寺金堂壁画が焼失した責任を取って下条康麿文部大臣と共に辞任。

本像台座側面の銘盤には、以下の記載がある。
従四位勲二等小野光洋先生は明治三十一年四月四日山梨県に生まれ、甲府中学校より立正大学に学ぶ。在学中より教育に志を立て、昭和二年恩師の馬田行啓先生を中心に同志と共に大崎町桐ケ谷に立正学園を創立す。校運隆盛となるも、昭和二十年校舎を戦火に失い加えて馬田先生の遷化に遭う。翌年理事長、校長に就任するや、「学園の再建は全私学の振興にまねばならぬ」との信念のもとに参議院議員となり、文部政務次官として私学三法の制定に献身す。学園の再建なり、短期大学の充実と共に四年制大学設置に着手せるも、病に倒れ、その開学を見ずして昭和四十年十月十九日遷化す。ここに創立五十周年を記念し、立正学園と三蓉会によって胸像を安置し先生の功績を永遠に顕彰するものなり。
昭和五十二年十月十七日 学校法人立正学園理事長 小尾乕雄

設置場所:東京都品川区旗の台3-2-17 学校法人文教大学学園 桜ガーデン
