福井直秋(練馬区)

設置場所:東京都練馬区羽沢1-13-1 武蔵野音楽大学アトリウム裏
制作者:山本豊市(1899 – 1987)
設置時期:1957年5月25日
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:福井直秋(ふくい なおあき、1877年10月17日 – 1963年12月12日)先生は、日本の作曲家、教育者富山県中新川郡宮川村(現上市町)浄誓寺住職・福井智拓の五男として誕生。1899年に東京音楽学校へ進学し授業補助をしていた瀧廉太郎と出会う。声楽指導法や歌曲集編纂に尽力する。歌曲、器楽曲の創作に意欲を燃やして約1000曲の音楽作品を遺した。1904年長野師範学校教諭、1928年に第一次帝国音楽学校校長に就任。同年辞任し同校生徒らと共に、翌1929年に武蔵野音楽大学の前身である武蔵野音楽学校を創設し移籍する。1949年に新制大学の武蔵野音楽大学の初代学長に就任した。
本像横の碑文には、以下の記載がある。
文学博士 久松潜一撰
福井直秋先生は明治十年十月十七日富山県に生まれ明治三十五年東京音楽学校を卒業。以来或いは師範学校或いは中学校或いは音楽学校の教育に盡瘁し、昭和四年周囲の要請もだしがたく私財を投じ現在の武蔵野音楽大学の前身である武蔵野音楽学校を創立。尓来廿八年間具さに苦難を嘗めつつこれが育成に専念し同校をして今日わが国有数の音楽大学にまで発展せしめた。その間常にわが国全般の音楽教育の向上刷新を念願し、その卓抜な見識と若々しい情熱とは絶えず音楽教育界を警醒しその功績は実に顕著なものがあった。殊にわが国音楽教育機関の施設改善の機運を促すために率先して武蔵野音楽大学の校舎改築を計画し、万難を排して事に当たり新しい設備の新校舎の完成を見るに至った。このたび同校舎の落成を機会に先生の偉大な恩徳と不朽の功績とを永遠に鑚仰するためにこれを建立するものである。
昭和三十二年五月二十五日  福井直秋先生彫像建立委員会
呉石 西脇 静書
設置場所:東京都練馬区羽沢1-13-1 武蔵野音楽大学アトリウム裏

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