佐藤達次郎(新宿区)

設置場所:東京都新宿区新宿6-1-1 東京医科大学第一校舎玄関階段
制作者:三沢寛(1901-1993)
除幕式:1971年11月11日 創立55周年式典
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:佐藤達次郎(1868年12月20日 – 1959年7月20日)は、日本の明治から昭和における外科医。初代東京医学専門学校長・第3代順天堂医院長・初代順天堂医科大学長・女子美術大学理事長を歴任。若狭国三方郡西郷村(現福井県三方郡美浜町金山)の漢方医河合貞輔の次男として誕生した。1892年東京帝国大学医科大学に入学、1896年12月同大学を卒業。大学卒業前に順天堂堂主である佐藤進の養子となった。1897年5月ヨーロッパに私費留学し、ドイツ・ベルリン大学などで外科学を中心に学び、1900年7月帰国し順天堂医院で外科を担当する。1916年5月、日本医学専門学校の紛糾から400名余りの学生が退学した際、達次郎は高橋琢也と共に学生救済に乗り出し、同年9月に牛込神楽坂物理学校(現東京理科大学)内に東京医学講習所を開設し、教育責任者として学生を指導した。1918年1月、東京医学講習所は東大久保に移転し、同年4月、東京医学専門学校が設立され、高橋琢也が理事長に達次郎が校長に就任した。
本像台座側面の碑文には、以下の記載がある。
正四位勲三等醫学博士佐藤達次郎先生は大正五年本学創立に際し教育最高責任者となり校長に就任。昭和十年理事長、十八年退任。為人寡黙重厚質実真摯自生自学を説き特に体育を奨励、本学風の礎をなす。卅四年逝去時に九十二歳也。ここに遺徳を偲び建立。
昭和四十六年十一月 東京醫科大学
設置場所:東京都新宿区新宿6-1-1 東京医科大学第一校舎玄関階段

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