井深梶之助(港区)

設置場所:東京都港区白金台1-2-37 明治学院大学 記念館1階玄関
制作者:佐野文夫(1918-2002)
建立時期:2001年12月26日
寄贈者:天生目(平子)義清
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:井深梶之助(いぶか・かじのすけ、1854年7月4日 – 1940年6月24日)は、日本の牧師。日本基督教会の指導者。明治学院の2代目総理、日本基督教青年会同盟委員長を務めた。会津藩士井深宅右衛門(禄高550石)の長男として生まれた。幼名は清佶である。代々小姓を出している家柄であった、井深は最後の会津藩主松平容保の小姓であった。慶応4年(1868年)15歳の時白虎隊年少組の斥候として会津戦争に加わる。また小姓として松平容保の側で、山川健次郎、高木盛之輔、高峰秀夫らと共に戦った。
本像台座正面の碑文には、以下の記載がある。
明治学院第二代総理井深梶之助は、1854(安政元)年会津藩士の家に生まれ、藩校日新館に学び、戊辰戦争に参戦。のち横浜でS.R.ブラウン宣教師に接してキリスト教徒となり、東京一致神学校を修了して牧師となる。同校助教授、米国ユニオン神学校を経て、1891(明治24)年、明治学院初代総理ヘボン博士の後を継ぐ。以後、在任30年に及び、学院発展の基礎を築くとともに、わが国キリスト教界の指導者として国内外にわたり活躍。退任後も名誉総理として活動を続け、1940(昭和15)年没。
設置場所:東京都港区白金台1-2-37 明治学院大学 記念館1階玄関

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