椎尾弁匡(豊島区)

設置場所:東京都豊島区西巣鴨3-20-1 大正大学4号館前庭園
制作者:世界堂
設置時期:1958年3月15日
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:椎尾弁匡(しいお・べんきょう、1876年7月6日 – 1971年4月7日)師は、日本の仏教学者・浄土宗僧侶・政治家。大正大学学長・大本山増上寺法主などを歴任。
本像台座背面の銘文には、以下の記載がある。
文学博士椎尾辨匡先生は佛教界の巨壁にして本學學長たること實に四期、その事績亦洪大なり。昭和三十一年為に紫綬褒章を賜ふ。三十二年十一月學長を解せらるる。受業の徒その高風を欽仰し茲に壽像を建てて永く學恩を偲ばんとするものなり。
昭和三十三年三月 大正大學學友會
本像台座背面の銘文には、以下の記載がある。
第6・9・14代学長 椎尾弁匡
 明治9年(1876)愛知県春日井庄内村に生まる。浄土宗宗務所教学部長のとき、各宗に先駆けて『浄土宗全書』を刊行するなど教化事業を推進して近代浄土宗の躍進の基点を構築。
 大正15年(1926)大正大学設立とともに教授となり、昭和11年(6代)、同17年(9代)、同27年(14代)の3期にわたり学長を務める。活動の場は多岐にわたり、衆議院議員のときには内閣に設置された教育刷新審議会委員となり、教育の刷新に尽力した。また社会事業においても財団法人三康文化研究所の創立など力を注いだ。昭和20年(1945)大本山増上寺82世法主となり、遷化するまで宗門の興隆に東奔西走した。
 これらの優れた研究業績・活動を称えられ同31年(1956)に紫綬褒章を受章。翌年、本学学長を辞したが、同33年3月15日先生の高風を慕って。この地に寿像が建立された。
設置場所:東京都豊島区西巣鴨3-20-1 大正大学4号館前庭園

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