大社義規(名西郡石井町)

設置場所:徳島県名西郡石井町高川原字高川原838−1 日本ハムファクトリー株式会社徳島工場 玄関前
制作社:竹中銅器
原型作者:熊谷友児
設置時期:2024年4月
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:大社義規(おおこそ・よしのり、1915年2月1日 – 2005年4月27日)氏は、香川県大川郡津田町津田(現・さぬき市)出身。旧制高松中(現・高松高校)卒業後、1934年に生家の没落で旧制高松高等商業学校(現・香川大学経済学部)を中退。叔父経営の養豚組合に就職した後、1942年に日本ハム株式会社の前身母体となる「徳島食肉加工工場」を徳島市で設立。「鳥清ハム」との合併を経て1963年に日本ハムに商号を変更、ハム・ソーセージを中心とした食肉加工のトップメーカーに成長させた。1973年には旧制高松中の先輩である三原脩の勧めにより日拓ホームフライヤーズを買収し、公募で決定した新ニックネームをつけ「日本ハムファイターズ」としてプロ野球に参戦。オーナーに就任し、チームの躍進とともに企業のイメージアップにつなげた。2009年1月13日、特別表彰で野球殿堂入りを果たした。
本像台座の銘盤に以下の記載あり。
『逆境こそ 我が道なり』
 大社義規翁の人生は、お客様への感謝と常に多くの仲間との挑戦でありました。昭和十七年三月に日本ハム株式会社の前身で有る『徳島食肉加工工場』を徳島市寺島本町に創立し、昭和二十年の戦災により一度は焼失したものの、昭和二十三年に徳島市万代町に工場を再建しました。その後、昭和四十九年九月に現在の地、名西郡石井町に現工場を竣工しました。
 翁は発祥の地である徳島から様々な事業を展開し、激動の中で、苦しいときも、とことんあきらめずに努力し、積極的に競争をし、新たな拠点を増やし、また、プロ野球日本ハム球団の経営に参入するなど、食品業界の一角として地位を築きあげました。
 ここ徳島工場を竣工して節目の五十年を迎えるにあたり、この足跡を後代に引き継ぐことは、我々日本ハムグループ役職員の使命で有り、今後も様々な挑戦、共創を行い、企業理念実現に向け日々精進し決意を改め、ここに関係者相計り胸像を建設し、翁の遺徳を偲び功績を永遠に讃えます。
 平成六年四月吉日 日本ハムグループ役職員一同
設置場所:徳島県名西郡石井町高川原字高川原838−1 日本ハムファクトリー株式会社徳島工場 玄関前

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