中川小十郎(亀岡市)

設置場所:京都府亀岡市亀岡駅北1 かめきたリバーサイドパーク入口
制作者:不明
除幕式:2022年5月19日
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

中川 小十郎(1866年2月18日 – 1944年10月7日)は、明治・大正・昭和時代の日本の政治家(貴族院議員等)で、官僚(文部省官僚等)、教育者(京都法政学校〈現・立命館大学〉創立者等)、実業家でもある。
設置経緯:本像横の「中川小十郎顕彰碑」には以下の記載がある。
 中川小十郎は、慶應2年(1866年)に亀岡市馬路町に生まれ、致遠館小学校(亀岡東学園の前身)校長の田上綽俊に師事し、漢学に精通しました。その後、叔父でもある中川謙二郎の誘いを受け上京、明治26年(1893年)には、東京帝国大学を卒業し文部省へ入省しました。
 西園寺公望文部大臣の「京都にも帝国大学を」の思いを実現すべく、京都帝国大学の創立に参加、初代事務局長として奔走しました。また日本の女子教育にも心血を注ぎ、日本女子大学校の設立に尽力しました。
 そして、明治33年(1900年)、もっと多くの若者に働きながら学べる機会を作るべく、京都・大阪の実業家の理解と支援を得て、34才の若きにして立命館大学の前身である京都法政学校を創立しました。
 このように日本の教育改革に大きく貢献した亀岡市出身の偉人・中川小十郎の生き方を、生誕地市民はもとより広く全国の方々に知っていただくため、この度、中川小十郎が総代を務めた愛宕神社を仰ぐこの地に顕彰碑を建立するものです。
 令和4年5月19日
 特定非営利活動法人中川小十郎顕彰会
 立命館大学校友会亀岡校友会
 学校法人立命館・立命館大学
 亀岡市
設置場所:京都府亀岡市亀岡駅北1 かめきたリバーサイドパーク入口

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