高橋是清(千代田区)

設置場所:東京都千代田区霞が関3丁目4番3号 特許庁本庁舎1階ロビー
制作者:不明、設置時期:不明
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

高橋是清(1854-1936)は6度目の蔵相在任時に、二・二六事件において、赤坂の自宅二階で反乱軍の青年将校らに胸を6発撃たれ、暗殺されたことで有名である。高橋は総理(在任:1921-1922)としてよりは、名蔵相として評価が高かったが、陸軍省所管予算の削減を図っていたために恨みを買っており、襲撃の対象となった。
銅像横の説明書
高橋是清(1854-1936)
明治17 年6 月9 日(初代)商標登録所長
明治18 年4 月20 日(初代)専売特許所長
わが国の今日の特許制度に堅い基礎を築いたのは故高橋是清氏であって、同氏は明治7 年ころから、この問題に着目した。その後明治14 年農商務省が新設され、高橋氏もその吏員として職を奉ずるや、同氏は、専ら商標および特許制度の研究と、その法規の作成とに従事した。そして多くの苦心を重ねて、明治18 年漸く専売特許条例を完成し、その施行とともに初代専売特許所長に就任した。後年の名蔵相、後の首相は、かくてまた、わが国特許制度史の第1ページを飾る功労者であった。(なお、明治17 年は1884 年である。)

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