柳井淑人(川越市)

設置場所:埼玉県川越市中原町1—25 川越市立中央小学校 校舎北側
制作者:木村珪二(1904-1971) 東京教育大学教授
初代像題字:文部大臣・鳩山一郎書
初代像除幕式:1932年 27回忌
初代像供出:1943年2月11日
現像再建:1948年9月20日
銅像建設者:三九二同窓會
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

柳井淑人(やない・よしんど、1885年-1906年9月20日)先生は、川越藩士柳井経定氏の次男。川越中学卒業後、川越南尋常小学校に奉職。1906年9月20日に、校外学習で古谷地区に行き荒川の電車架橋の見学をした際に、一人の児童が荒川に墜落するという事故があった。引率していた柳井先生は、川に落ちた生徒を救わんと、すぐさま激流に飛び込みましたが、前日の大雨で流れが急だったこともあり、2人は助かることなくそのまま流されてしまった。
本像台座背面の由来書には以下の彫文がある。
柳井淑人先生は旧川越藩士柳井経定氏の次男である。埼玉懸立川越中学校を卒業して川越南尋常小学校に奉職した。そのまじめな人がらは教職員や父母から深い信頼を受けそのやさしい愛情は児童から父のようにしたわれた。明治三十九年九月二十日古谷村荒川沿岸で郊外学習中一人の児童が脚をすべらせて河の中に落ちた。先生はすぐ奔流に身を躍らせた。一度は児童を抱いて水面にあらわれたが激流に妨げられ必死の努力も空しくついに河底に呑まれ教え子に殉じたのであった。時に先生は二十一才人生の半ばにも達しない春秋に富む青年であった。
この悲壮な死の知らせを聞いた川越町の人人は誰一人としてなげき惜しまぬ者はなく丁重に町葬を行って先生の霊を弔った。そしてこの事はいつか村から町へと語り伝えられ称さんの声はちまたに満ちあふれた。
後に先生に教えを受けた人たちは教え子のために犠牲となられた教育界最初のこの徳行を教育家のかがみとして不朽に伝えようと話し合い先生の命日にちなんで三九二同窓會を組織し毎月若干の資金を積み立て先生の二十七周忌にこの銅像を建設した。
私たちは像を仰ぐたびにありし日の先生に接する思いがしてなつかしさが胸にせまってくる。文部大臣もこの美しいくわだてに感激して題字を贈られた。校内に建てられた先生の銅像はまるで生きている人のように朝に夕に本校の児童を見まもって多くの教訓を与えている。
埼玉懸川越市立川越第三小学校長 正七位 菅野利貞
本像台座背面に以下の「再建経緯」が彫られている。
再建の詞
昭和七年に私たちが建設した柳井先生の銅像は昭和十八年二月十一日戦争のために供出せねばならなかった。その後平和のおとずれとともに銅像再建の意見がたちまち起り少数な會員ではあるが精神的に結合した私たちは彫塑界の鬼才木村珪二氏に依頼して前にまさる銅像をつくりあげることができた。永久に朽ちぬこの像魂は本校児童はもちろん廣く教育界にまた社會に無言のおしえを與えると思ふ。 
昭和二十三年九月二十日 三九二同窓會
再建委員(12名の氏名)
賛助員(12名の氏名)
設置場所:埼玉県川越市中原町1—25 川越市立中央小学校 校舎北側

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