設置場所:東京都練馬区旭丘2-42-1 日本大学芸術学部大ホール1階
制作者:柳原義達(1910 – 2004)日本大学芸術学部教授
設置時期:1977年4月
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

本像横に以下の略歴が掲示されている。
日本大学芸術学部 教育の祖
初代芸術科長 松原寛 1892年7月1日 1956年9月12日
長崎県南高来郡有家村(現 南島原市)出身
1892年 長崎県南高来郡有家村(現 南島原市)に生まれる。
1918年 京都帝国大学文科大学哲学科卒業。
1922年 円谷弘の斡旋で日大法文部美学科教授に就任。
同年8月、美学科と社会科の主任に就任。
1924年 法文部文学科芸術学専攻及び専門部文科文学芸術専攻を設置。
1933年 本郷金助町に校舎が移転、学部芸術科、専門部芸術科の他に邦楽舞踊科、児童学園を新設して日本大学芸術学園と名づける。
1934年 芸術学園科長に就任。
1937年 文部省より正式に芸術学部として認可を受け、初代芸術科長となる。
1946年 日本大学教授、芸術科長を休職。
1947年 公職追放され、1951年まで解除されず。
1957年 日本大学芸術学部最高顧問となる。
同年9月12日に急性肺炎を併発して逝去。享年65歳。

銘記
松原寛先生は、明治二十五年長崎県に生る。一高・京都帝大を卒え、ドイツ・ハイデルベルク大学に哲学を学び、帰国後文学博士の学位を受く。宗教・哲学・芸術に深く心を寄せ、特に情操教育の重大性に着意し、大正十年本学部の前身である美学科を創設。総合芸術大学の基石を築き、その育成に挺身苦闘された先覚者である。永く先生の功業を追慕するため、柳原義達教授の手に成る胸像を建立する。
昭和五十二年四月吉日 日本大学芸術学部

