恩田経介(清瀬市)

設置場所:東京都清瀬市野塩2-522-1 明治薬科大学 研修・図書・厚生棟3階
制作者:滝川毘堂(びどう、1914—1980)、二紀会委員
制作時期:1975年6月14日
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:恩田経介(きょうすけ、1888年4月10日 – 1972年4月18日)先生は、日本の植物学者。旧姓は小山。長野県北佐久郡大井村(現・小諸市)に生まれる。小諸義塾に通い、島崎藤村から国語を学ぶ。1906年、恩田重信の養子となる。第一高等学校を経て1916年東京帝国大学理学部植物学科卒業、同大学院中途退学。在学中は三好学の指導を受けた。水産講習所(現・東京海洋大学)非常勤講師を経て、1923年明治薬学専門学校教授となり、第一高等学校講師を経て明治薬科大学の初代学長となる。牧野富太郎に師事し、木本植物を研究した。
本像台座側面の銘文には、以下の記載がある。
恩田経介先生の遺業を称えて
明治薬科大学初代学長恩田経介先生は創立者恩田重信先生の創学精神を継ぎ昭和二十四年より昭和四十七年の永き亘り学長として尽瘁今日の大学隆盛の基礎を作られた。その功績は極めて大であり遺徳を称える声高くそのため昭和四十九年明薬会総会において先生の胸像建立が決せられ茲に敬慕する全国出身者の醸金により本胸像が完成したものである。
昭和五十年六月十四日 建立
明治薬科大学同窓会 明薬会々長 太田哲郎
設置場所:東京都清瀬市野塩2-522-1 明治薬科大学 研修・図書・厚生棟3階

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