By 林 久治2025年10月9日Category: 00.乱歩(林久治), 12.千葉県の銅像, 東葛地域Tags: 文化人 設置場所:千葉県我孫子市緑2—5−5 杉村楚人冠記念館1階書斎制作者:立體寫眞像 発明者.盛岡勇夫制作時期:1940年7月 朝日新聞社創刊五十周年記念寄贈者:杉村秀太郎画像提供:林久治⇒銅像探索記/f 設置経緯:杉村楚人冠(そじんかん、1872年7月25日—1945年10月3日))は、和歌山市で生まれた、本名は広太郎。長じて後の中央大学となる英吉利法学校、国民英学会他で学び、地元の新聞社などを経て、1903年東京朝日新聞社に入社する。そして語学力を生かして海外特派員を務め、明治末から昭和にかけて国際ジャーナリストとして活躍した。朝日新聞社では調査部長、記事審査部長、取締役、監査役などを歴任、その間新聞縮刷版の発行や写真新聞「アサヒグラフ」を創刊するなど新事業にも積極的に取り組んでいる。1923年の関東大震災では2児を亡くすという不幸に見舞われるが、それを機に東京・大森からそれまで別荘のあった我孫子町手賀沼畔に引越した。我孫子では俳句結社湖畔吟社を作り、地元の人々と交流する傍ら、エッセイ集「湖畔吟」を著して我孫子を広く知らしめたり、我孫子ゴルフ場の開設を進言するなど、我孫子の発展に寄与したが、1945年当地で亡くなった。享年73歳。楚人冠は、小学唱歌「牧場の朝」の作詞者としても知られている。 筆名「楚人冠」の由来 設置場所:千葉県我孫子市緑2—5−5 杉村楚人冠記念館1階書斎