設置場所:兵庫県尼崎市東桜木町3 尼信博物館前 尼信記念館1階
制作者:不明、制作時期:不明
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f
設置経緯:小森純一翁(1847年9月20日 – 1936年)1月12日)はもと尼崎藩士で小森燐寸製造所の創設者。父は元高(維新前の禄高)50石の中層の藩士小森衛。1880年、県より士族授産資金の賃下げをうけてマッチ製造を企て、翌年平岡・吉岡両人とともに資本金1,300円の慈恵社を別所村に設立し、苦心の末その製造に成功した。士族授産事業として成功した県下でも数少ない事例の一つである。1895年町会議員に一級議員として当選して以来連続当選、1896年6月2日から1898年2月7日まで尼崎町長を務め、また市制施行後初代の市会議長となり市会のなかに小森派といわれる勢力を築いた。1886年洗礼をうけてプロテスタントとなり1892年尼崎伝道教会(のち尼崎教会)を設立した。1896年別所村に遊廓設置問題がもち上がったとき嗣子貞次郎が編集責任者の「琴陽雑誌」に反対の論陣をはりその実現を阻止した。尼崎のいま一つの有力なマッチ工場である小嶋燐寸の小嶋敏衛は純一の従兄弟にあたる。1921年、新設の尼崎信用組合の初代組合長となる。
設置場所:兵庫県尼崎市東桜木町3 尼信博物館前 尼信記念館1階