美須鑛(川崎区)

設置場所:川崎市川崎区小川町4-1 「ラ チッタデッラ」マッジョーレ館地下1階の歴史ギャラリー
制作者:圓鍔勝三(えんつば・かつぞう、1905 – 2003) 広島県出身、文化勲章受章
制作時期:1966年冬
設置時期:2022年11月23日、「ラ チッタデッラ」としてリニューアルオープン。
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:美須鑛(みす・こう、1887年7月26日-1972年12月12日)氏は、栃木県烏山の農家の生まれ。1922(大正11)年の東京日暮里(東京都荒川区)を皮切りに、各地に映画常設館を建設し運営にあたった。1937(昭和12)年には川崎駅前に川崎映画館など7館を開館した。戦後は川崎・蒲田・横浜に40余の娯楽施設を経営し、美須合名(現在の株式会社チネチッタ)の会長になった。神奈川文化賞を受賞。
本像後ろの向かって左側のパネルに、「美須鑛氏の略歴」が以下のように記載されている。
1887年7月26日:栃木県烏山に産まれる。
1905年:東京・千代田区麹町の私立商業学校卒業。
1922年:独立して東京・日暮里に映画劇場「第一金美館」を開設し、都内各地に映画常設館を運営した。
1937年:川崎市川崎区小川町に美須事業所を開き、駅前に川崎映画館など6館を開設する。
1945年:川崎大空襲で映画館のほとんどを焼失するも、直ちに復興開館させる。
戦後は川崎・蒲田・横浜に劇場、スポーツセンターなど40余を経営し、1955年 美須合名会社の会長となる。
経営哲学は事業即奉仕。
美須奨学金制度、貧困家庭児童に給食費援助、学校プールの寄附など、各種学校の復興と学費援助、老人福祉への取り組み社会奉仕にも数多く尽力し、数度の藍綬褒章を受け、勲五等瑞宝章も受賞した。
1972年12月12日没 享年85歳。
本像後ろの向かって右側のパネルに、美須鑛氏の「事業のはじまり」が以下のように記載されている。
事業の始まり
創業者美須鑛の事業は、日暮里で始まった。美須は若干26歳で起業、大正3年(1914)に台東区で賃貸住宅経営を始める。人口が増え続ける東京で、住宅事業は大成功。6年後には100戸を有する美須団地へと成長した。当時の日暮里一帯は工場が多く、住民が急増していたにもかかわらず、商店はまばらで、共同井戸に薪や木炭で生活する街だった。美須はこの街を発展させるべく構想を描き、娯楽施設や共同浴場を含む「美須街」の建設を開始、大正11年(1922)に第一金美館を開業した。
設置場所:川崎市川崎区小川町4-1 「ラ チッタデッラ」マッジョーレ館地下1階の歴史ギャラリー

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