宮崎鉄風(鳴門市)

制作者:岡田晃(経歴不明)
鋳造:松本長敏(経歴不明)
設置時期:1984年9月11日
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:宮崎鉄風(本名は四郎、1874-1943.9.11)は鳴門市生まれの神職。
本像台座の銘盤に以下の記載あり。
宮崎四郎先生は明治七年鳴門市里浦町粟津に御生誕。質性明敏剛直、皇典を修め五等学正の学階を受けられ、宇佐八幡神社諏訪神社他二十余社に奉任せられ奏任官を以って待遇せらる。神社祭式に御造詣深くあらせられ明治四十二年内務省の嘱託により皇典講究所講師として国学院大学に教鞭をとられる。学長杉浦重剛先生又鉄風先生を篤く信任し、鉄骨仁風、天下の熱を清めん欲すの鉄扇を贈らる。大阪皇典講究分所講師、徳島県皇典講究所講師、全国神職会評議員等の役職及び御神勤の御繁忙の中をさかれて鉄風義塾を開講子弟の養成に盡瘁せらる先生の御薫陶をうけて神職となりし者百数十名の多きに及ぶ。先生著書に、神社祭式行事作法要義等あり。尚講習会講師の労を惜しまれず、雑誌、斯道を刊行する等遍く県民教化をはかられしに昭和十八年九月十一日御年七十一才にて御逝去せらる。恂に哀痛いに堪えず。御功績により従六位に叙せらる。
嗚呼宮崎鉄風先生、お別れ申して四十年茲に門下生相計り徳島県神社庁及県下神職並有志各位の御協賛を得て御胸像、マス御奥様の御浮彫を建立して偉大な御高恩を讃仰申し上げる。
昭和甲子年九月十一日 再拝 二拍手 (昭和甲子年:昭和59(1984)年)
設置場所:徳島県鳴門市撫養町黒崎字八幡130 宇佐八幡神社境内

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