設置場所:東京都中野区中野4-3-2 丸井本社玄関前
制作者:樽谷清太郎
制作時期:1963年2月17日
移設時期:1994年11月(現在地に新本社竣工により)
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f


樽谷清太郎(1903-1973)氏は彫刻家。高岡市二番町に鮮魚商政男の長男として生まれる。大正11年(1922) 高岡工芸学校彫刻科を卒業し、東京美術学校彫刻科に入学。朝倉文夫・北村西望に師事す る。昭和3年(1928)同校を卒業。在学中、帝展に初入選し、以後8回入選。文展3回入 選・無監査推薦3回出品。日展4回入選・日展依嘱出品。この間受賞2回。昭和23年 (1948)から日本彫刻家連盟事務長を3期務めた。昭和26年(1951)東京都主催日比谷 公園野外彫刻展を創立。昭和35年(1960)東京都豊島区美術協会長、山林美術界彫刻部 代表委員など要職を数多く務める。代表作は堅実で伸びのある裸婦立像「想念」のほか、 「慈母観音像」(兵庫県池田市)、「お鶴とお弓の像」(徳島市)、元運輸大臣の「岡田 勢一郎像」などがある。県内では富山城址公園の「ライオン噴水」が知られる。(なお、青井氏も1922年に高岡工芸学校を卒業しており、青井氏と樽谷氏は同級生であるようだ。)

青井忠治氏は、明治三十七年三月三十日富山県射水郡小杉町の旧家に生まれ幼少にして両親を失ったが、不遇に挫けず、克己勉励県立高岡工芸学校を卒業。単身上京して丸二商店に就職し、艱難に耐えて早創期の月賦販売業を身をもつて学ぶ。昭和六年二月十七日中野店を譲り受けて独立し、後に商号を丸井と定め、昭和十二年三月株式会社に改組して初代社長に就任。不屈の商魂と卓越せる経営理念をもつて斯界ならびに社業の発展に盡され、全國月賦販売業界の雄として不動の地歩を築く。氏は気守壮大にして人情に厚く、明断風の如く実行に敏捷つねに開拓者精神をもつて社運隆々たる今日を成す。茲に創業三十二周年の祝典に当り、その恩顧にあずかる者相寄り、人々の胸奥に、氏の人徳が永くきざまれんことを祈つて、ここに寿像を献げる。
昭和三十八年二月十七日 株式会社丸井 従業員一同 関係会社一同
財団法人修養団主幹 蓮沼門三書
