螢山禅師(横浜市緑区)

設置場所:横浜市緑区長津田6-6-24 大林寺本堂横
制作者:不明
設置時期:2008年11月
寄進者:井上秀雄・マサ子
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:螢山禅師(1268年11月21日 – 1325年9月29日)は鎌倉時代の曹洞宗の僧侶。瑩山派(總持寺派)の派祖で、教団では第四祖とする。總持寺などを創建。曹洞宗では「太祖常済大師」と尊称される。
太祖螢山禅師様は、文永五年(一二六八)十一月越前の国多穪村(今の福井県武生市)に生誕され、幼名を「行生」と名付けられました。その後、六歳にして永平寺に出家され、徹通禅師の弟子となられ、弘安三年(一二八〇)懐弉禅師に従い得度され、僧名を螢山紹瑾と名付けられました。その後、宝慶寺をはじめ、諸国寺院にて修業されましたが、その激しさは群を抜いており、他の修業僧の手本となりました。三十五歳には大乗寺の住職となり、伝光録を著わし、古仏方の教えを世に広めました。
更に総持寺・永光寺の住職となり、峨山紹碩、名峯素哲両禅師を始め、五哲二十五哲等弟子を育成され、偉大な宗教家であると共に真の教育者でありました。その弟子たちが日本全国に曹洞禅を拡め曹洞宗教団の礎を築き高祖様の教えを民衆に伝えました。宗門では高祖・太祖として両祖様と仰がれております。
そして、正中二年(一三二五)御年五十八歳にて遷化されました。螢山禅師の教えは、今でも大本山総持寺に息づいており、修行僧の導きとなっています。
設置場所:横浜市緑区長津田6-6-24 大林寺本堂横

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