小坂善次郎(世田谷区)

設置場所:東京都世田谷区瀬田4-41-21 旧小坂家住宅1階洋室
制作者:不明、制作時期:不明
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:旧小坂家住宅は、信濃銀行取締役、信濃毎日新聞社長で、後に貴族院議員、枢密顧問官を務めた小坂順造氏(1881-1960)が、1937年に別邸として建てた屋敷で、戦時中は 日本画家の横山大観氏も空襲を避けるため、樹林地の中にあった茶室に一時期移り住んでいました。1996年10月に世田谷区が緑地保護のために公園用地として土地を購入、建物は小坂家より寄贈を受けました。その後、内部の改修工事を経て一般公開。1999年11月24日に世田谷区指定有形文化財となりました。
小坂善次郎氏(1914-1935)は順造氏の次男。21才で2年余りの闘病後、腸閉塞で死亡。性格は、登山と音楽が好きな快活な青年。信仰は、闘病中、母花子の影響で聖書を離さず。
なお、順造氏長男の小坂善太郎氏(1912-2000)は外務大臣などを歴任、三男の小坂徳三郎氏(1916-1996)は運輸大臣などを歴任)、長女の百合子さんの夫は東京都知事を務めた美濃部亮吉氏(1904-1984)。
設置場所:東京都世田谷区瀬田4-41-21 旧小坂家住宅1階洋室

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