横井玉子(杉並区)

設置場所:東京都杉並区和田1-49-8 女子美術大学 杉並キャンパス 校庭
制作者:津田裕子(1948-、女子美教授) 
建立:2004年10月30日 創立100周年記念
寄贈:学校法人女子美術大学 女子美術大学同窓会 女子美術大学附属高等学校・中学校同窓会
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:横井玉子(1854年9月12日-1903年1月4日)先生は、女子美術大学の創立者の一人。肥後熊本藩支藩の肥後新田藩家老、原尹胤の次女として江戸鉄砲州に生まれる。1872年に熊本藩士・横井小楠の甥で養子となった横井左平太(時治)と結婚。1875年に左平太が帰国し元老院権少書記官となったが結核を患い死去した。未亡人となった玉子は東京に滞在し、1879年東京葺手町教会のワデル牧師により受洗する。1885年海岸女学校の教員となり、同年矢嶋楫子の依頼で新栄女学校事務監督となって礼式と裁縫を教授。1886年東京師範学校で高等裁縫と高等女礼式の教授資格を取り、本多錦吉郎と浅井忠に水彩画と油絵を学ぶ。1890年に学校合併した女子学院で寄宿舎監督となり、礼式、裁縫、洋画、料理を教授した。1901年、藤田文蔵、田中晋、谷口鉄太郎らと女子美術学校 (後の女子美術大学) を創立。開学早々に資金面から経営難に陥り、順天堂院長夫人佐藤志津に協力を要請し、玉子の情熱に感銘した志津は全面的支援を約束する。玉子は数年前から体調を崩していたが、1903年胃癌により入院先の順天堂医院で死去した。
本像の台座に設置された銘盤
設置場所:東京都杉並区和田1-49-8 女子美術大学 杉並キャンパス 校庭

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