柳楢悦(江東区)

設置場所:東京都江東区青海2-5-18 海洋情報資料館1階海図室
制作者:朝倉文夫
制作時期:1930年
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯: 海洋情報部は1871年の創設以来、航海の安全に必要な海図や潮汐表などを提供するとともに、近年では、海洋環境、地震、津波などに関する社会ニーズに対応し、多種多様な調査・研究を行い、さまざまな海洋に関する情報を提供しています。海洋情報資料館には、デジタル機器やコンピューターがなかったころ、どのようにして海の深さや流れ、満ち潮・引き潮を推算していたかなど、当時の海洋調査や海の測量を知ることのできる機器、日本で最初に作られた海図や伊能図模写図などを展示しているほか、最新の海洋情報業務を紹介するパネルを展示しています。このほか、「海図アーカイブ」所蔵目録にあります各種資料の高解像度版の画像閲覧ができます。海洋情報部は、以前は築地にあったが2011年にここへ移転した。
柳 楢悦(やなぎ ならよし、1832年10月8日 – 1891年1月15日)は、津藩の小納戸役・柳惣五郎の長男として江戸で出生。近代国家の産声を上げた明治初期の混乱期の我が国において、日本独自の力で1日も早い港湾等の測量を行い全国の海図作成に率先して心血を注ぎました。その功績から「水路測量の父」、「海の伊能忠敬」と称されています。海軍軍人、和算家、数学者、測量学者、大日本水産会幹事長、政治家。三男は柳宗悦(美術評論家)、孫には柳宗理(デザイナー)、柳宗玄(美術史家)、柳宗民(園芸評論家)。
楢悦は、24歳の時に長崎の海軍伝習所に入所し、勝海舟らとともに航海術、測量術を学びました。明治初期、イギリス、アメリカ、フランスなどの諸外国が次々に日本周辺の測量を実施し、明らかにされていくことは、国防上、不都合だった。また、自国を防衛するためには、沿岸部の情報を知ることが不可欠であった。さらに、当時の船舶乗組員が航海術・測量術に未熟だったため海難が多く、国費を無駄にしていた。よって、明治2年、明治政府に向えられ、海軍創立計画に関する諮問に答え、「海軍の創立はまず航海、測量を基礎とする」を条件に意見を上申した。明治4年(1871年)、水路掛に任ぜられ、兵部省海軍部内に水路局を創設した。
設置場所:東京都江東区青海2-5-18 青海合同庁舎 海洋情報資料館

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