By 林 久治2022年6月13日Category: 00.乱歩(林久治), 13.東京都の銅像, 23区:都心, 港区Tags: 創業者, 夫婦カップル, 教育者 設置場所:東京都港区六本木6-4-1ハリウッドビューティープラザ内 メイ・ウシヤマ学園11階ロビー画像提供:林久治⇒銅像探索記/f 設置経緯:ハリウッドビューティープラザ(2003 年竣工)は、「六本木ヒルズ(2003年開業)」内にあるハリウッド化粧品グループの 12 階建て本社ビルである。本プラザには、学校法人メイ・ウシヤマ学園(1984年設立)が経営するハリウッド大学院大学(2008年開校)とハリウッド美容専門学校(1950年開校)が入居している。メイ・ウシヤマ学園の概要:1925年創立のメイ・ウシヤマ学園は、ハリウッドグループの創設者でハリウッド映画俳優でもあった牛山清人(1899 – 1991)が最先端のハリウッド映画界の美容の技術と知識を習得して米国で美容室を起業後、これを日本に導入すべく1925年に帰国し、美容学校、美容室、化粧品等のビジネスを創業したことに始まる。清人の妻メイ牛山(1911 – 2007)は、美容家、またハリウッド美容専門学校の校長として、「日本女性をすべて美しくする」という使命感をもち、美容における「美」を単なる外面的な美しさではなく健康や精神の内面美を含む総合美(トータルビューティ)として追求し、美容師の養成にとどまらず、美容業界の指導者として業界のプレスティージ向上につとめた。このような創業者夫妻のトータルビューティの追求という高い理想を継承しつつ、時代の要請に応じた人材の輩出に努めている。本学園の建学の精神は、「人を美しく幸福に導く一流の美の天使を育成し、ビューティビジネスの発展に貢献することによって美の楽園を築く」ことである。またハリウッド(かつて聖林の字をあてた)に関わる人々の理念として「愛聖会の精神」を掲げている。 牛山清人像設置時期:1971年4月29日 勲四等瑞宝章受章記念寄贈:ハリウッド株式会社社員一同制作者:立体写真像発明者 盛岡勇夫栄典:勲四等瑞宝章(1971)、紺綬褒章(1980)、ロンドン勲章(1981)牛山清人先生(1899年10月8日 – 1991年9月2日)の略歴:長野県諏訪市豊田小川の長野県士族牛山克躬・さわの夫婦の長男として生まれる。生まれてすぐ母親を亡くし、旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校)を卒業後、1917年に父をたよって単身渡米、ハリウッド・ハイスクール卒業。ハリウッドで早川雪洲の弟子として働くも俳優としては芽が出ず、メイキャップ担当に転身。滞米中に初代メイ牛山(牛山春子)と結婚し、1924年に帰国し妻とともに神田三崎町に美容室を開店、宣教師ポール・ラッシュの支援で開いた軽井沢店の成功で軌道に乗り、夫婦で銀座にハリウッド美容室、京橋に美容学校のハリウッド美容研究室(ハリウッド美容講習所)を開設。1929年には、春子とともに再び訪米する。初代メイ牛山の春子と離婚後、春子の弟子だった17歳下のジュン牛山(本名・マサコ)と1939年に再婚し、メイ牛山の名を継承させる。1947年諏訪商工会議所会頭、日本商工会議所国際委員長を併任する。1950年ハリウッド美容専門学校校長に就任。生長の家の熱心な信者でもあり、93歳で没した。 ③ メイ・ウシヤマ像設置時期:1991年1月25日 傘寿記念寄贈:ハリウッド美容専門学校同窓会、ハリウッド化粧品ビューティーサロン制作者:立体写真像代表者 盛岡公彦主な受賞歴:環境衛生事業功労賞(1983)、勲五等瑞宝章(2001)、ダイヤモンドレディ賞(2002)メイ牛山先生(本名・牛山マサコ、1911年1月25日 – 2007年12月13日)の略歴:山口県防府市生まれ。実家は塩田を営んでいた。3歳のとき、父が腸チフスで亡くなり、母の実家に転居。防府市技芸女学校卒業。1929年、18歳で単身上京し、叔母の家で働く。1932年、牛山清人が1927年に東銀座に開業したハリウッド美容室の5階にあったハリウッド美容講習所に住み込みとなり、すぐ美容師として才能を開花。1935年に銀座店を任され、雑誌や新聞にヘアを発表しはじめ、1939年には清人と結婚し、第2代メイ牛山を襲名。戦後、麻生霞町にハリウッド美容室と美容学校を再建。その後、日本でも酵素の働きを日本で最初に化粧品に取り入れるなど化粧品の開発も行う。1960年に発売した「酵素パック」はハリウッド化粧品の代名詞ともいえるロングセラー製品となる。東京オリンピックの道路拡張により、1965年に六本木6丁目にサロンを移転する。日本がアメリカ式食生活に移行し始めた頃すでに、健康食品の開発と提唱をはじめ、これがライフワークとなる。日本の気候風土に合わせた美容法や食事法が大切であるという「四季の美容法」や、皮膚、身体、心の汚れを排泄することが美容の根本という独自の「三大排泄美容 – SBM理論」を提唱、お化粧だけでなく、体の中、心の中から美しくある事が、本物の美しさである事を日本で最初に提唱。チャーミングな個性、トレードマークのお団子ヘアスタイルからお茶の間でも人気となり、「笑っていいとも」「いただきます」「徹子の部屋」などにも出演、著作も30冊を越えた。また、ハリウッド美容専門学校で長年にわたって指導に当たるなど、後進の育成にも力を尽くした。90歳を超えてなお第一線で活躍した。2003年には長年住んだ六本木ヒルズを、森ビル、テレビ朝日と3社合同で開発、ヒルズブームを起こした。