松本治一郎(中央区)

設置場所:東京都中央区入船1-7-1 松本治一郎記念会館1階ロビー
建立時期:1982年3月3日 全国水平社創立六十周年・松本治一郎記念会館落成記念
制作者:佐藤 忠良
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:松本治一郎(1887.6.18-1966.11.22)は福岡県筑紫郡豊平村(現・福岡市)出身。1900年に住吉高等小学校を卒業後、私塾の粕屋学園や京都の旧制干城中学校(後に廃校)を経て上京し、旧制錦城中学校(現在の錦城学園高等学校)を中退。1907年に大連へ渡り、大道易者や偽医者として生計を立てる。1910年、日本総領事に強制送還されて帰国。1911年土建業松本組を設立。部落差別撤廃運動を始め、1922年筑前叫革団を結成。1923年九州水平社委員長から、1926年以降全国水平社中央委員会議長。その間、“徳川家達暗殺未遂事件”“福岡連隊爆破陰謀事件”などで投獄される。1936年以来、衆院選に3選。戦後1946年部落解放全国委員会が結成され、中央執行委員長。1947年社会党から参院に当選。初代参院副議長に選ばれたが、1948年天皇への単独接見を拒否し、公職追放となる。1951年解除後、政界に復帰し、1953年から参院選に3選。また1955年部落解放全国委員会が部落解放同盟と改称して初代執行委員長。同年社会党内に平和同志会をつくった。ほかに、日中友好協会会長を務めたり、アジア・アフリカ会議に日本代表とした参加。「部落解放の父」と呼ばれる。
制作者の佐藤忠良(ちゅうりょう、1912.7.4-2011.3.3)は宮城県出身の彫刻家。舟越保武とともに日本を代表する彫刻家。1939年、東京美術学校彫刻科卒業後、同期の舟越保武らと共に新制作派協会彫刻部の創設に参加する。1945年から1948年までシベリア抑留に遭う。1966年、東京造形大学創立と共に教授に就任。
生き生きとした女性像などをブロンズや木彫で表現した。本の装幀の仕事もこなし、福音館書店版の絵本「おおきなかぶ」の挿絵なども手がけた。出身地にある宮城県美術館には、「佐藤忠良記念館」が併設、日本で最も多い約600点の彫刻作品を収蔵。その他、滋賀県の佐川美術館の佐藤忠良記念館、札幌芸術の森「佐藤忠良記念子どもアトリエ」、国立近代美術館、国立国際美術館など、日本全国各地に佐藤忠良の作品が収蔵・展示されている。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章など辞退する。
設置場所:東京都中央区入船1-7-1 松本治一郎記念会館1階ロビー

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