内田秀五郎(杉並区)

設置場所:杉並区善福寺3-9-1 善福寺公園 上池の畔
設置時期:1953年6月建立
設置者:内田秀五郎翁 銅像建設協賛會
制作者:「貞弘作」とのサインあり(貞弘の経歴は不明)
第一画像提供者:ヒロ団長
本画像の提供者:林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:内田秀五郎翁(1876-1975)は、1907年に30歳で井荻村長に就任(在任、1907-1928)、井荻信用購買組合(後の東邦信用金庫、現西武信用金庫)設立による農業資金・資材供給の安定化、中央本線荻窪駅~吉祥寺駅間の新駅誘致(西荻窪駅として開業)、村内の大規模な区画整理などを実行し、名村長とうたわれることとなった。特に区画整理については、関東大震災後、荻窪駅、西荻窪駅周辺の宅地化が急速に進みつつあったことから、多数の反対者を説得の上実施。1933年には総面積888ヘクタールに及ぶ区画整理が完成した。なお、内田翁の銅像は、当地の他に、新宿区淀橋市場と立川市JA東京第一ビルにも設置されている。

建立時期
建立者
制作者のサイン
銅像の銘文

内田秀五郎翁は人格高潔資性温厚天賦の才能自ら備わり有能達識の偉人地方自治開拓の慈父にして文化開発の大恩人なり明治九年十一月内田家に生る年二十一厳父を喪い独力克く父祖の業を継ぐ年三十にして衆望を担つて全国一の年少村長となる爾来多年一日の如く終始渝らす悦意自治の為めに生き文化の為めに生涯を捧ぐ人悉く其の徳を仰ぎ其の恩惠による常に百年の計を樹て千年の後を慮る翁の雄図は大正十年電灯の布設となり昭和七年井荻水道の完成又同十年には拾ヶ年の苦節実つて全国唯一の大区画整理を完遂する等社會福祉の為めの功績挙けて数うべからす又幾度か府政都政にも参与時に議長となって其の令名を讃われ今尚全国農業委員会協議會長として活躍せらる昭和十九年二月宦其の功を賞して藍綬褒章を賜う今や喜寿を祝するに方り円満玲瓏玉の如き翁の人格と徳望とは翁を敬慕する人々により地を此処に卜し寿像を建て辞を刻して永遠に伝う千載不磨の名は日月と輝き天地と倶に遣らん 東京都知事 安井誠一郎

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