二木友吉(豊島区)

設置場所:豊島区東池袋1-25-22 豊島岡女子学園玄関ロビー
設置時期:1988 年11 月(古希と叙勲記念)
制作:立体写真像 代表者盛岡公彦作
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

二木友吉先生之像:二木友吉先生(ふたき、1917.4.29-2009.9.27)は、謙三先生の女婿で本校の第5代校長(1962-2003)、本校の進学実績を向上させたことでも有名。なお、第6 代校長(2003-2013)の二木謙一先生は友吉先生の子息で、有職故実研究の第一人者。
設置経緯(胸像台座の銘文):
先生名は友吉、閑山と号され、大正六年四月石川県七尾市増田多吉氏四男として誕生。昭和十五年國学院大学高等師範部を卒業、同時に東京陸軍航空学校歴史科教官、同年十二月現役兵として中国大陸に出征。陸軍伍長に任じられ、昭和十八年十二月除隊。復職、終戦まで陸軍生徒の教育に専念される。昭和十五年二木謙三先生二女アツ氏と結婚二男二女を挙げらる。昭和二十年十一月戦禍癒えぬ牛込高等女学校に奉職。爾来副校長・校長として戦後の学園復興に獅子奮迅の活躍をされ、東奔西走よく再建の偉業を達成、学園の期待を完遂。昭和二十六年学校法人豊島岡女子学園設立と同時に理事に就任、更に常務理事・理事長として四十有余年経営の陣頭に立ち、学園の充実と発展に尽瘁、盤石の基礎を固められる。校舎の建築・校地の買収・林間学校の開設・運動場建設、更に斬新な高層校舎の新築・校舎建替え工事と新機軸を創出。戦後本学園に課せられた宿命的幾多の苦難と辛苦を嘗められ、課題を一身に背負い、粉骨砕身、渾身の力を傾け、身を挺して今日の隆盛を齎らされましたのは一に先生の不撓不屈の精神と堅忍不抜の教育への熱誠の賜物であり、その功績と偉業は誠に顕著であります。都知事表彰・文部大臣表彰・藍綬褒章、更に教育功労者として昭和六十三年四月二十九日満七十一歳の誕生日、勲四等旭日小綬章を授与されましたことは、校友一同の名誉であり、学園の誇りであります。誠に先生の人格見識のしからしむるところと欽慕敬仰する校友同志鳩首して、古稀の寿に併せ叙勲を慶祝し、先生のご功績の不滅と今後も矍鑠として益々学園の振興にお励みなさいますことを祈念申し上げ、同窓生これを建立するものであります。
昭和六十三年十一月吉日 本橋藤治 謹記

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