中川小十郎(中京区)

設置場所:京都市中京区西ノ京朱雀町1 立命館大学朱雀キャンパス 中川会館玄関ホール
建立時期、製作者は不明。
画像提供:林 久治⇒銅像探索記/f
設置経緯:中川 小十郎(1866 - 1944)は、明治・大正・昭和時代の日本の政治家(貴族院議員等)で、官僚(文部省官僚等)、教育者(京都法政学校創立者等)、実業家でもある。戊辰戦争以来西園寺公望に仕えた丹波の郷士・中川禄左衛門の長男として生まれた。帝国大学法科大学政治学科(現・東京大学法学部)卒業後、1893年文部省に入省、文部大臣であった西園寺の秘書を務めたことから終生西園寺と密接な関係を築いた。広岡浅子が設立に尽力した日本女子大学の設立では、西園寺が発起人を引き受け、中川も文部官僚として創立事務幹事長として尽力した。1900年、中川は西園寺の私塾「立命館」から発展した京都法政学校(立命館大学の前身)を創立。1913年、立命館大学の初代総長に就任。
「立命館」の扁額と「立命館憲章」
 胸像の上部には、創立以来立命館学園を援助するとともに、学園の精神と名称を与えたことなどから学園の「学祖」として敬仰される西園寺公望公が揮毫した「立命館」の扁額のレプリカが掲げられている。現在、オリジナルの扁額は総長室に飾られている。胸像の背後には、「立命館憲章」の抜粋が次のように記載されている。
 立命館は、西園寺公望を学祖として、1900年中川小十郎によって京都法政学校として創設された。「立命」の名は「孟子」の「尽心章句」に由来し立命館は「学問を通じて、自らの人生を切り拓く修養の場」を意味する。立命館は、人類の未来を切り拓くために、学問研究の自由に基づき普遍的な価値の創造と人類的諸課題の解明に邁進する。その教育にあたっては、建学の精神と教学理念に基づき、「未来を信じ、未来に生きる」の精神をもって、確かな学力の上に、豊かな個性を花開かせ、正義と倫理をもった地球市民として活躍できる人間の育成に努める。

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